原点

青春の裸像

青春の裸像

本文(抄)
五月第四週の、晴れたウィークデーのこと。
私鉄電車が、いつものように郊外のベッドタウンからその鋼鉄製の車体を膨れ上がらせるほど乗客を詰め込み、ゆっくりと重い足取りで進んできます。
そして、首都環状線と交差するターミナル駅に到着すると、既に乗降客であふれかえる状態のホームに、新たな乗客を吐き出します。駅員がスピーカーのボリュームを最大限にして呼びかける中、偶然そこに居合わせた他人同士が通勤通学用の制服を着た状態で、汗にまみれた体を押し付け合う。客たちはまるで器械仕掛けの人形のように、乗り換え口に通じる階段へ向かうスペースの中で無言のまま巨大な集団の一員になっているのです。

○ トピック
 この書き出しの文章は、26歳当時に大学生活を振り返って書いた小説(未完)のものでした。印刷屋さんでタイプ印刷してもらい、独身時代のお宝として1970年30歳で結婚した時に披露宴で、後述の「ドン・キホーテ・平正盛」の一部分とともに配布しました。その後30数年かけて完成させ、出版したのは2006年1月でした。

あとがき(抄)
青春と言われる時期が終わりに近づき、社会への入口に立つ時、人は皆、内面に自分と異なるもう一人の自分の存在に気付くのではないでしょうか。(略)
最終章 まで読み進んでいただけるならきっと、ひょんな偶然からこの本を読んでいただいている皆様にとっても、人生の入口から出口までに見え隠れして悩ませてきたに違いない疑問、「なぜ自分はこの世に生まれたのか」「人生とは何」「どう生きていったらいいのか」という、謎の正体を解き明かすきっかけになる発見と出会って頂けるのではないかと思っています。2006年 作者拝

〇 トピック
ドストエフスキー罪と罰→青春の裸像
小説「青春の裸像」という作品には「自分ともう一人の自分そして二通りの結末」という副題がついています。この作品は、当時の思春期の青年の青春の迷宮を覆っていたドストエフスキーの世界を自力で食い破る記念すべき作品になりました。
特に小説の最終盤で、2種類の結末を用意するという手段を見つけられたことでドストエフスキーの呪縛の中から抜け出すことに成功したのです。
つまり「高が創作」にすぎないという思いに到達し現実を照らし出す「超現実派」としての覚悟に行き着けたのです。

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